6月30日(月)<日本発モスクワ経由プラハへ>

成田発モスクワへ9時間半のフライトを予定、機材整備と滑走路混雑の為、
1時間半遅れで到着。モスクワ空港は家族全員で猛ダッシュ。
トランジットの待ち時間は0分。なんとか乗れたが、いきなり海外の洗礼!

プラハ到着。タクシーでホテルへ向かうが、運転手はかなりのスピード狂、
後ろの席の3人は右へ左へ飛ばされながら20分でホテルに到着。怖い。
現地時間PM8時半。夜だというのに外は明るい。日没は9時半。




7月1日(火)<とりあえず観光へ>
 
朝から時差ぼけ解消のため市内観光へ全員で出発。カバンは全員タスキがけ(笑)。
火薬塔→市民会館→ナ・プシーコピュ通り。市民会館のアールヌーヴォーの
装飾が綺麗だった。さすが街全体が世界遺産の国である。
治安は思ったより良いようだ。



<大会会場をチェックしに行く>

ホテルから歩いて約20分程度、ストリートコースはセクション作りの真っ最中で、
金曜まで滑れないとの事。バーチカルは横倒しの状態で組み立ても出来ていなかった。
海外では、この程度の事で驚いてはいけない。あせっても何も変わらない。
帰り道でストリートスポットを発見し軽くスケート。やっぱスケートは楽しい!


7月2日(水)<地元のスケートパークへ>
 
朝一ショッピングモールのスケートショップで聞き込みをし、地下鉄を乗り継いで
QUIKSILVER SK8PARKへ到着。
コンクリートと木製のこじんまりしたパークで参加選手とローカルで賑わっていた。
ローカル達は僕の滑りに興味津々、なにげにビデオ撮りをされてしまった。
ここでフランスチームのキッズと仲良くなり一緒にスケート。





<家族でショッピングへ>
 
地下鉄でTESCOデパートへ行ったが、現地はガイドブックと違い物価も高く、
母や姉が興味を示す物は何も無かった、食費も高く、安いのは父が喜ぶビールだけ!
 


7月3日(木)<再び観光へ出発>

時差ぼけ対策として恒例になった午前中の観光散歩。
火薬塔→ツェレトゥーナー通り→旧市街広場→旧市庁舎、天文時計→カレル橋→プラハ城。
お決まりの観光コースを楽しむ。歴代の王がパレードを行ったコースらしい。





<有名なストリートスポットへ>

ヨーロッパのビデオではかなり有名なSTALINスポット。山の上の公園にある。
カレル橋辺りで迷子になり疲れてタクシーで移動したのだが、かなり距離があったので
作戦は大正解だった。大理石のセクションでステアー、カーブ、マニュアル台など、
なんでも揃っている。こちらも参加選手とローカルで約30人、かなり賑わっていた。
昨日のフランスチームと再会、歩いてきたらしくかなり大変だったようだ。
日仏対抗スケートゲームをし、軽く撃破する。







<再び大会会場へ>
 
念の為、大会コースへ行ってみると、なにげに練習可能だった!!
一つ一つセクションの感じをチェックしていると観客席にジェレミー・ロジャース
が居るではないか、その後ろにはテリー・ケネディ!
やはりここはワールドカップ会場なのだと改めて実感する。
WCSスタッフのデイブ・ダンカン、アジア担当のサシャ達に会い、お土産として
買って来た東京バナナを渡すと大喜び。おかげで親切に施設を案内してくれた(笑)。


WSCのデイブ・ダンカン氏(現場のボス)。右はご存知ジェレミー・ロジャースさんと記念写真


7月4日(金)<公開練習>
 
午前11時スタートだったのだが、会場設営が終わらず昼頃まで待たされる。
ぞくぞく大物選手があらわれて、みんなかなりのハイレベルなスケートを披露。
ヨーロピアン予選の開始まで練習する。



7月5日(土)<MYSTIC SK8 CUP予選>
 
昨日のヨーロピアン予選の上位20名をプラスして、69名が5つのヒートに別れて
50秒2トライ、トップ20名がセミファイナルに進出。
僕は第2ヒートの10番。午前中の公開練習で、ようやくラインが完成した。
それまでは特に緊張した感も無かったのけど、試合が始まるといつになく緊張してきた。
ヤバイ。そのとき父が言葉をかけてくれる。ちょっと落ち着いた。



ラインはビックトランスファーからレールトリックを4発、Rトリックを1発という内容、
1本目、2本目共にワンミスで終了。



しかし日本から来た11歳のライディングは想像以上だったのか、割れんばかりの声援、
立ち上がってくれる人までいて、正直、感動した!

最終ヒートが終了、まもなく結果発表。
その時、近くに来たダンカンから「Tomorrow Skating!」と言われまたまたビックリ!
どうやら予選通過を内緒で教えてくれたらしい!
 
正式アナウンスでは20位タイでギリギリ予選通過。
ほっとしていたのもつかの間、明日に向け練習を再開する。また緊張して来た!
Jereme Rogers、Daniel Vieira、Rodil Jr 達とセッション開始。
こんな選手達と一緒に、真剣な練習ができただけでも素晴らしい経験だと思った。




公開練習後にRodil Jr.とパチリ! 中はバート優勝のサンドロ・ディアスさん


7月6日(日)<セミファイナル>
 
予選通過22名プラス、トップシード8名、計30名が6つのヒートに別れてのジャム。
ルールはパークをゾーン1、ゾーン2に分けて各5分、休憩2分で行われる。
僕は第4ヒート、まさかのJereme Rogers、そしてエレメントのチームメイトでもある
Madars Apseと同じヒートだ。

ゾーン1は、パークの手前と底の部分で、ゾーン2は奥と上の部分が使われた。
選手紹介は名前を呼ばれた後、ワントリックずつ観客の前で披露する。
僕はビッククオーターのフロントブラントで軽く会場を沸かす。



いよいよゾーン1のスタート、やはり観客の注目はJereme Rogers、メインとスイッチで
ビックトリックを連発。クオーターを使う選手はほとんどいないので、僕はRトリックや
トランスファーを中心にアピール。



後半はピラミッドのレールトリックを何個かメイクできた。
たぶん、このゾーンではJereme Rogersについで歓声をゲットできたと思う!


 
ゾーン2の見せ場はパーク上の下りレールが2本続くライン。
2本目のハンドレールが一番盛り上がる。Jereme RogersはスイッチBSリップ、スイッチK
をフロント、バックサイドともにメイク、やはり別格だ。
僕は1本目のレールは技がかかるものの2本目は入れず。見せ場を作れず終了してしまった。



結果は22位敗退。
ヒート中にJereme Rogersとライン上でぶつかりそうなシーンもあり、応援に来ていた家族を
ひやひやさせてしまったみたいだけど、日本代表として堂々と滑る事ができた、と思う。
回し技とビックサイズのセクションが使えるようにならないと、世界にはまだまだ届かない。
と感じた。
 
<ファイナルを観戦>
 
超満員の観客席に移動して決勝を観戦した。
決勝進出上位12名を下位と上位に分けてのジャムセッション。
Jereme Rogers 、Daniel Vieira、Rodil Jr. 、Milton Martinez 、Diego Oliveira 等、そうそうたる
メンバーがビックトリックを連発。
 
Daniel Vieiraのピラミッドのオーバーレールの360フリップ。
Rodil Jr.のハンドレールの360フリップボード。
Diego Oliveira のハンドレールのFS270ボードなど。。。。
日本のコンテストでやれば間違いなくベストトリックを獲れそうなトリックを彼らは一人で
何個もメイクして行く。
 
僕の予想では1位Daniel Vieira、2位Diego Oliveira、3位Rodil Jr.4位Jereme Rogers だったが、
優勝は決勝の10分前に現れてほとんど練習なしで調子の悪そうだったJereme Rogers 。
やはりスイッチトリックが評価されたか?
 
ベストトリックコンテストは観客が多すぎて観戦出来ず、表彰式の前に会場を後にした。


観戦に来ていたスロバキア人スケーターに写真を撮ってと頼まれてしまいました!


7月7日(月)<応援団長・瀬尻パパが語る>
 
朝一プラハを飛び立ちモスクワでトランジット、帰りは待ち時間が3時間半。
汚い空港でかなり疲れた。時差の関係で7月8日(火)成田到着予定だ。
1週間仕事を休んでしまった!


息子にとって初めてのワールドカップシリーズに出場したが、大会の規模、選手レベル、
施設の大きさ、観客の数等、予想通りだった事だが、日本とは比べものにならなかった。
 
稜みたいな小学生が、世界のトップの人達と、大会という場で一緒に滑る事、行く前は
恥ずかしくない滑りをさせたいと思っていたが、観客の声援に後押しされ、自信を持って、
滑りきることが出来たようで安心した。
 
WCSスタッフや他の選手からも、お褒めの言葉を頂き、海外進出という意味でも、
かなり良い印象付けができたように思う。
 
稜の感想は「いろんなカメラマンやテレビ局の人に声をかけてもらえて驚いた。
でもレベルの差がありすぎる。もっと色々なトリックを練習していかないと駄目だ。
ともかくJereme Rogersは凄い!」
簡単にまとめると、こんな感じでした。
 
大会翌日のプラハ新聞の1面でMYSTIC CUPが取り上げられていた。
街の中では世界遺産の隙間を縫ってあちこちにポスターが貼られ、
会場ではスケートをしない人も多く訪れ、そして楽しんでいた。
近い将来、日本のコンテストシーンも、この様な環境になればと思います。

この度、素晴らしい機会を与えて下さった日本スケートボード協会、各スポンサーの皆様
には感謝の気持ちで一杯です。本当に有難うございました。
この経験を活かし世界で戦えるように頑張っていきますので、今後ともご指導の程宜しく
お願い致します。



(この文章は息子が体験した事を家族で話し、父が加筆したものを、AJSA事務局の横山さんに整文して頂いた
 文章を掲載しています、言い回し等、おかしな箇所も有りますが、ご理解のほど、お許し願います。)