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日本と世界のスケートボードの歴史(要約)


他のスポーツ同様に諸説があるようだが、1940年代のカリフォルニアで木の板に鉄製の戸車を付けて滑った遊びが始まりとされている。50年代に入りローラーダービー社から「ローラーサーフィン」という木製チップとゴム製のホイルが付いたオモチャが売り出され、これが現在のスケートボードの原型と言われる。

60年代に入るとホイルの材質がゴムからウレタン素材に変わり、滑走性能が飛躍的 に向上した。日本でもサーファー達を中心に愛好者が激増しし、続に言う「第1次スケートボード・ブーム」が到来。

70年代は錆やすいボール・ベアリングに替わってシールド・ベアリングの採用で始まった。アメリカではブルース・ローガンやラス・ハウエルなのどヒーロー達が誕生、フリースタイルとスラローム系に加え、バンク・ライディングの要素も取り込み熟成 を進めていく。他にもクリス・ヤンデル、タイ・ページ、トム・シムスなど、時代を 飾る世界的ヒーローが続々と登場してくる。

70年代中頃、ついに巨大な波が日本にも上陸。各地の公園や駐車場では当然の光景のようにスケートボードで遊ぶ若者達の姿が見られる様になる。特に原宿にある代々木公園の歩行者天国はメッカとして全国にその名を轟かせた。

76年夏に日本初の若者情報誌「ポパイ」が創刊。スケートボードは一気に日本全国 の若者達の必須アイテムに発展した。「第2次スケートボード・ブーム」が到来し、日本国内でも秋山弘宣・秋山勝利・西岡昌典、松本栄吉・田口政人といったヒーロー が続々と誕生していく。

79年5月には野末雅之氏の監修のもと「スケートボードは僕をロケットにしてくれ る」(鎌倉書房)が出版される。同年夏には渋谷・東急文化会館の屋上に「カリフォ ルニア・スケートパーク」がオープン。この時期を前後して日本各地に大小様々なスケート・パークが続々と誕生する。ピーク時には大型パークだけでも約20カ所も存在した。

一連のブームが落ち着きを見せた81年秋、日本各地に存在した様々なスケートボード協会・連盟に変わる形で、全日本スケートボード協会(初代会長:秋山弘宣)が設立。過去の教訓から地道な選手育成に力を入れ、確実に日本のレベル向上に努めた。

しかし82年に始まったスノーボード・ムーブメントがスケートボードの方向性を変えていく。溝部薫、松島勝美、豊田貢といったトップ選手がスノーボード界でも活躍。 同様に古川勇はサーフィンで活躍。アメリカの雑誌「アクション・ナウ」の影響もあって、今で言う横乗り文化「アクション・スポーツ」というカテゴリーが誕生し、双方向で刺激しあい、競うように各分野で発展していく。

80年代中旬、世界的にはスティーブ・キャバレロ、マイク・マクギル、トニー・ホーク、ロドニー・ミューレンといったパウエルチーム全盛期が始まり、トリックの時代が幕を開ける。オーリーはアラン・ゲレファント。マックツイストはマクギル。スノーでもポピュラーなキャバレリアルはキャバレロといった、昨今のXスポーツと言われているカテゴリーに多大な影響を与える事になった。ちなみにジャパンエアーというのは、当時、彼らが来日した際に日本生まれのフランス人スケーター、フィリップ・メントネが清瀬でセッションした時に、彼の独特なエアーを見たキャバレロ達が帰国して広めたトリックである。

80年代後半にスケートボードは更に新たな発展を見せる。フリースタイラーであったスティーブ・ロコがストリート・スケートを確立。同時期にクリスチャン・ホソイが音楽とファッションを融合し独特なカリスマ性を持った時代のヒーローとして現れる。しばらく静かだった日本のシーンでもジャンプランプでのトリックを中心に「第3次スケートボード・ブーム」が始まる。

90年代に入るとスケートボードは完全にストリートの時代を迎える。トリックの複雑化が始まり、道具の多様化、靴の多様化、アパレルの発展等、日本のファッション誌でもスケーター系などという単語が多く見られ様になる。コラボレーションも益々盛んになり、グラフィックや音楽などの様々な分野にも進出。ついにストリート・カルチャーなどというカテゴリーまで作られ、流行に敏感な日本の若者達を刺激した。

94年、ファッション&ビジネス・アイテムの1つになった感のあるスケートボードを、純粋に考え直そうという当時の中心選手達が結束し、協会も含めた日本のスケート・シーンの再構築が始まる。バブル崩壊の影響で不定期な開催状況の競技会を定期化し、スケートボード本来の「滑る楽しさ」を前面に押し出し活動。その後、X−GAMEなどの競技会を中心とした複合イベントの影響などもあり、過去3回はブームとして一過性であったスケートボードが、日本上陸約40年を経過して、ようやく日本人に浸透していく。

21世紀に入ると、日本人の海外進出も珍しい事では無くなっていった。海外のメディアにも登場する頻度は高まり。コンテストでも好成績をあげる選手が登場する。
日本人のレベルも着実に進歩してきている。しかし、アメリカを中心とした海外では更に早いスピードで進化と低年齢化が進んでいる現実を忘れてはいけない。

昨今では初期のブームで愛好者だった若者達が、40〜50才代となり行政の要職に就いたり、過去に熱中した20〜30才のすけーたーが子供を持つ親となり、日本各地で公共スケートパークの開設が進み、親子で楽しめるスポーツとしての魅力が広く浸透し始めている。

2015年9月28日。かねてよりローラースポーツとして提案されていた2020東京五輪への追加種目候補としてスケートボードが正式に決定。あわせてWSJ内にスケートボード委員会が設立(初代委員長に現AJSA会長の宮沢武久が就任)。

2016年8月4日、リオで開催されたIOC国際オリンピック委員会の総会で承認され、スケートボードが東京2020オリンピックの種目正式に決定しました。

(加筆・修正:2021.8/10)

新型コロナの世界的蔓延で1年間の延期となった東京五輪において、最初の種目「男子ストリート」において掘米雄斗が金メダルを獲得。翌日の「女子ストリート」でも西矢椛が金メダル、中山楓奈が銅メダル、「女子パーク」では四十住さくらが金メダル、12歳で日本人最低出場記録のの開心那も銀メダルを獲得した。

 

History of skateboarding in Japan and World


In early1940 in California, a piece of wood plate with metal door wheels said to be one of the origin of the skateboard. In the 50s, the Rollerderby started selling (Roller Surfing) a wooden board that had rubber wheels on, and this is said to be the first model of the skateboard we know today. In the 60s the rubber wheels turned into urethane wheels, and the skate population increased dramatically to be described as the first skateboard boom.

In the 70s, the ball bearing was replaced with the shield bearing which offered much better and reliable skating. In America Russ Howell and Bruce Logan became skate hero. Three main riding style such as freestyle, slalom and bank riding with skaters like Chris Yandel, Ty Page, Tom Sims and many others became well known.

By mid 70s, the American big wave finally landed Japan, and many regular parks and parking lots started to be filled with skateboarders especially in Harajuku in Tokyo. Japan’s first skateboard magazine<Popeye> published in summer of 76, which made the boom even bigger in Japan. The names like Aki Akiyama, Katsu Akiyama, Eikichi Matsumoto, Masato Taguchi were heard very often.

In May 79, a magazine written by Masayuki Nozue titled (Skateboard makes me a rocket) was published, and the California Skate Park was built on top of a Shibuya building in Tokyo as one of the very first parks. Within a short period of time, over 20 parks are opened in Japan.

1981 the All Japan Skateboard Association was found by Aki Akiyama consolidating multiple groups of skateboarders in order to effectively and systematically teach and improve the skaters in Japan

By Mid 80s, The Powell team with Steve Caballero, Mike McGill, Tony Hawk, Rodney Mullen became so big, and the trick era began. Ollie by Alan Gelfand, Mc Twist by McGill and Caballerial by Caballero, which became a standard trick in the snowboarding today. Incidentally the Japan Air was created by a French born in Japan and introduced to America by Caballero who had been in Japan and learned the trick.

In the late 80s, the short-skateboarding further evolved by a free style skater, Steve Rocco who turned himself into a street skater. At the same time, Christian Hosoi became a star collaborating music and fashion together with his charismatic look and performance influencing Japanese to start the third boom of skateboarding.

In the 90s, the street skateboarding became more pronounced style and many more complicated, technical and fun tricks were made by many skaters. A range of new tools and accessories were developed, and skate shoes and cool looking apparels became leading the city fashion. Collaborations of graphics and music became more popular creating the street culture/fashion stimulating over the Japanese youth

In 1994, taking the skateboarding overwhelmed in fashion and business, the association intended to re-build the skate scene in Japan by putting the fun of skating in up-front of anything else. After 40 years since the introduction to Japan, the skateboarding start having a stable status contrary to its past which had radical ups and downs in popularity.

In the 21st century, Japanese skater’s skill got so improved to be able to compete in the overseas contests though the skill gape is still large between America and other skaters.

Recently, many public skate parks are built by the local government. We foresee the trend will continue as the number of the skateboarders are growing among youth taking after their parents, and the skateboarding becoming one of the family sports.

In September of 2015, the skateboarding was nominated to be one of the additional games to the Tokyo 2020 Olympic game. The president of the AJSA (Mike Miyazawa) was appointed to the chairman of the Skateboarding Committee for the Tokyo 2020